読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゆびさきがつめたい

Thoughts make things, you know?

2017/01/16ed

休みの日が1週間の総括になりつつある。区切りが1日から1週間に引き延ばされて、区切りがあることに関してはオッケーだけど、果たして。

 

回りに1人でも変化がある人が存在すると『何かあったのか!?心配なのだが!?!?!』となる。本人が何か喋り出すのをこっそり(たまにけしかけながら)見守っている感じ。どうしたんだろう。お話がしたいけれど、微妙の雰囲気。

わたしも、ずっとびびってて、胃がキリキリしてしんどかったけど、ながらヨガをちょいちょい日常で挟むようになってからは、気持ちも体も随分マシになった。自分に出来ることをしよう。とりあえず、呼吸を整える。

 

この休みは、年に2.3度ある喧嘩(というか私の不満の爆発)があって、てんやわんやしていた。泣いたり解決方法を言ったり結論が同じだったり、使う言葉も毎回大体同じで、何度も何度も繰り返すので、『筋書き決まりすぎじゃない?演劇の稽古かよ』と思った。

やっと行けたメインレースもぼろ負けしたし、踏んだり蹴ったりだった。運を貯めていると思おう。

 

サブ機のノーパソかタブレットがあれば、色々捗りそうだな〜と思って探してた。買うかどうかは別として。

 

いまは、美味しいものが食べたい。銭湯にいきたい。あたたかい布団で眠りたい。面白い話をしたい。能動的なことを1日一つでも積み重ねると自己肯定感出てきそう。とりあえず、お茶でも淹れるか。

広告を非表示にする

「年賀状くらいの距離感でいようね」

この一週間は「人付き合いに全く気を使わない。自分にとって無理だと思うことをしない」という信条のもと行動すると、驚くほど体が軽くなった。

とりあえず寝る時間起きる時間を決めて、「動かねば!身支度しなければ!」をやめて、無理に体をつかうことはせず、必要以上の気遣いを無理にせず、息抜きを適度にして、過ごした。(老人か)

それがちょーよかった。脳の回路が圧迫されて自由に発想できなかった日々が少しずつ変わってきてるのでは?そりゃ鬱病の人とか、脳みその形かわるわ。変な緊張は体に毒だったんだと分かる一週間。

12月は、何を思ったのか、すごくずっと体調が悪くて、いろんな健康法を調べたり試したりしてたけど、冷えだったのかな?と思う。電気毛布と半纏と湯たんぽを常備して、机に向かう。めちゃめちゃ快適。

 

ていうよりは、人のことがどうでもいいというか、その人に合わせなくてよくなってきたというか、それはそれでいいのでは?と思えるようになったというか。

やっと「私は私で元気でやってますので、あなたもあなたで幸せでいてください」を地でいく一歩を踏み出したかんじ。

 

逆に、本当にどう、どうでもいいっていうか、何度も、何度も、何度も、ご飯を一緒に食べて、何も話すことがない相手と一緒には私、一緒にいられへんな、と。思い悩むことがただでさえ多いのに、それに時間割けないわ。

 

ツイッタもLINEも返信スピードが本当に遅くなってしまった。

だから、手紙の存在が個人的にはありがたすぎる。「急ぎじゃないよ」という意思表示が出来るし、ものとして残るし、時間をかけて大丈夫だし。届いてるんかな?そして年賀状が届いたよ!といってくれた人、どうぞこれからもそんな関係でいましょう。 

 

nectaris.hatenablog.com

ちょーわかる!!!!!!!!!!ってなった。

どうでもいい他人の日常って貴重だと思う。

「ペネトラ」を文フリで買って「三月の升本」という文章を読んだ。本当に「アンタ誰やねん」と思ってたのに、全部一気に読んでしまった。これまでだって知らなかったし、これからも関わりがないであろう人の文章を読んで、「だからどうした」にならなかったのが、びっくりした。

あと、31日分あるけれど、同じ日がなくて、びっくりした。当たり前なんだけど。

 

活字の安心感を、紙で味わう。今年はZINEを出したいね。

Hey,2017.thx,2016.

人生で一番腑抜けた年末年始だったと思う。

なんちゃら初めは、2日からやった方がいい話を信じて、今。

今年は、手帳を使いこなせるのかな!?ほぼ日カズンにだけついている、見開き一週間のためだけに買っているといっても過言ではない。なんで他の週間のスケジュール帳は、片方はカレンダーでもう片方は空白なんだ。いっそ今年はスケジュール帳作るか

 

石油ストーブか炬燵でぬくぬくしつつ、年賀状を描く年末年始。今年こそはデジタルで!なんて思っていたけれど、無理でしたね。でも、2018はカラー印刷してやるぜウッシッシ。

実家に戻るまでが、自分のアップデートだな。一年を通して、区切りを実家で毎年つけている。数の子食べたり、洗濯物干したり、唐揚げあげたり、カニ食べたり、餅食べたり、チーズケーキ焼いたり、あれ、家事しかしてないわ。逆に家族以外の人と年末年始過ごしたことがないな。ていうか、ずっと誰かと一緒の部屋で寝てるわ。戻ってきて、一人暮らしの快適さにびびっている。生ハムとカマンベールチーズを食べながら、撮りためた映画などだらだら見ていた。メン・イン・ブラック面白いやん、こんなハートフルな話やったんか!みたいな。サイコー年末年始。

 

2016。いやはや。

まじ人生の分岐点でしたね、干支2周して。

転職。東京。デザイナー。はへー、我ながらびっくりだよ笑

ていうか、運が良かった!!!!!!!!本当に私は!!!!!!!!

見つけてくれて、ほんとうにありがとう!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

ブログを読み返して、お金の問題が、私にとって根深いようで。

まー根深いようで。笑っちゃうよね。2016総括するにあたり、ちょー笑った。

がめついわ私。交通費もめちゃめちゃけちってたもん。

帰りの新幹線で、相方とゲラゲラ「全部、貧乏が悪いんや~」と言えるようになった。

ていうか、あながち間違いじゃなかったよ。前の会社の手取りを計算してみたら、ボーナスなど含めて年180万以下だったので、ぞっとした。貧困層になってたんだ、関関同立出てて。はぁー。そりゃ人当たりも悪くなりまっせ、平均的な親の元で暮らしてた人間に取っちゃぁ

 

前の職場の仕事内容も、なんだろな。「私である必要、ないな」と思ったまま、ずっと新卒から5年過ぎてしまってたかもしれないと思うとゾッとする。ママンになる前に技術を身につけておきたい人間にとって、よくわからないスピリチュアルな職場で、なけなしの誇りだけを持ちなさいと言われ、お金もないまま消耗していく会社、無理でした

とりあえず3年その会社でいる、みたいな迷信、信じてたらエライ目にあってたと思う。3年ってなんの数字なんだろう1年でよくない?仕事をこなせるようになってきたり、部下が出来て責任が発生してくるとか、そういう話?なにもメリットがないと思うならやめとけ…1クルー経験したら、割とどういう会社か分かるし、今の御時世、バイトの方がいろいろ出来るなとか思ってしまう始末。

 

去年、人並みにお金を貰って使えるようになりつつあったので、実家にもさくっと戻れるようになったり、『ほしいな』と思うものをきっと未来に買えるであろうことに思いを馳せたり、きちんと病院にいけたり、コスメ買ったり、兄弟にお年玉をあげてみたり、お世話になっている人にプレゼントの準備も、出来ている。本当に嬉しい。この資本主義社会で、経済を少しでも回せていることが嬉しい。

 

お金イコール余裕。気持ちにしろ。

ないときは、自分に危害を加えそうになった出来事や人に対しては、Yes Noきっぱりじゃないと、どうしようもなかった。せざるを得なかったんだもんな。しょうがない。

でもね、勘違いしちゃいけない。

その時に私に関わって痛い思いをした人もいるんだと思う。離れて行っちゃった人に対しては、すみませんでしたあなたもどうぞお幸せに、という気持ち。それでも一緒にいてくれた人には、最大の感謝と恩返しをするぞっ。うりゃっ。まっとれよ2017

 

 

やりたいこと

健康でいること

一番でしょこれは。精神面的に思い当たる節がたくさんあるので、気を楽にして、ちょっと運動とかしちゃおうかなって感じですね。ヨガとか?

 

素材から料理を作る

上記な感じで、健康に気をつかう意味でも、今年は料理したい。人が作ってくれた料理も好きだけど、自分の料理もやっぱり好きだな~と実家に帰って思った。あと、小麦とかパンよりは、お米をしっかり食べる一年にしたいね!本当は、料理器具買いたいのもある←

 

デザイナーの卵から、ひよこに昇格する

これは仕事面。全くもって未経験の私が、こうやって職に(食に)ありつけていることが、もう、幸せですわ、どうもありがとうございます。(事あるごとに感謝を述べる病にかかっている)とはいえ、出来ることをきちんと増やして、人に還元していく幅をどんどん増やしていきまっせ。

 

ちょうどいい発信をする

去年は、SNSから距離を超絶取ってて、人がやることにも自分がやることにもあんまり関心を持てない時期だった。ていうのも、自分が超絶吸収してるときの諸刃の剣になっちゃうとこがあるからだと思う。

創作活動を真面目にやってくにあたり、どうなりたいかとか、最終的なとこはどこなのかとか、だらりと決めたい。伊勢丹・ルミネにイラストが使われるとか、そういう目標とか?笑 今のは大袈裟かもだけど、どっか別のジャンルとコラボしたいね。

演劇のフライヤーとか、アルバムジャケットとか、好きなものに自分が少しでも関わりたいなぁ。お待ちしてます。

 

今年の心持ちの目標は、気持ち的に余裕をもつこと。気長でいること。グレーもいいじゃんという心持ちでいること。急がばまわれ、的な。(おみくじも、そう書いてあったし。)

 

ほんとに、出来ることしか出来ないと思う。わかることしかわからないと思う。

だから、出来ることを出来る範囲プラス0.1くらいでやっていこうな~と思う。

ハッピーラッキーイェイ。

イェェェェェェェェェイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

空前!絶後のォ!!!!!!!2017にィ!!!!!!!!!

していこうなぁ。よろしくたのむで。

 

広告を非表示にする

夜の会話

「みねもりさんて、長女って感じだよね~」といわれた。

「よく人のことを見ていて、あまり自分の感情を人にぶつけることもないんだよね~」

あ。

それたぶん会社だから感情をぶつけることはないだけだと思いますハイ。わたしは体力がなったりお腹がすぐ痛くなるので、イライラしちゃったりするんですけどね。とは言えず。

 

「みっともないじゃないですか」と、自分で言って、腑に落ちた。

恥ずかしいことが、とっても嫌で、意図せず笑われることが本当に嫌いで、テレビでドッキリ映像とか、人が失敗する映像が、本当に耐えられなくって、柱の陰に隠れるような子供だった。そういう人が大半じゃないことを、大きくなってから知って。

わたしは、恥をかかないために、どんな時にどういう風に振る舞えばいいかを学習し、相手に取り入られるために話題を探り、笑顔の練習をし、居心地のいい空間を作ることに力を割いてきた。

あー、だから休日は部屋に閉じ込もるのね。誰にも力を割かなくてもいいように。

 

「人が喜ぶのが好き、っていうのは、人がいてはじめて自分も喜べるっていう、レスポンスの感じが、あるよね。」

 

たしかに。そこらへんは承認欲求じゃないんですかね。親に褒められた延長が、いまここまで来ちゃったって感じなんですけど。

 

「みねもりさんって、うちの娘みたい。人に対して臆さない。」

「だって、人って刺したら死ぬじゃないですか。だからあんまり、怖くないんだと思います。」

それははじめて聞いた~」

ですよね、わたしも人生で人に初めて言いました。「気安い」とは自分も思っていましたが、臆さない、は納得。常務専務にも同じ土俵にスッと立てると思ってしまう。それは相手が私に合わせてくれているって知っているけど、横暴なんだよね、私が気をつけよ

 

「みねもりさんって、がんばっているのわかるんだよね。力抜いても全然、クビになったりしないし、三年後までうちの会社で上司に仕事まかせてもらえるまでが大事だよ。」

 

あ、ばれてましたか。

部活でも劇団でも、わたしはいい子であろうと努めてきた。

でも、たまに自由に振る舞っているように見られて「一人っ子でしょ?」とも言われる。うるせいやい。

んんん、今更わたしが力を抜く、というのもよくわからない。

自由に振る舞うの、意味がわからない。

がんばって、なんでもこなすことを体で覚えてしまって、癖になってしまって、あれ?どうしたらいいんだっけ?とわからない。

先週の日曜、ブチ切れていたのも、たぶん「頑張らなくていいよ」みたいなことを別の言葉で言われたからだろうな。

確かにさ。「頑張ってる私を見て!」というのは、いつの間にかやっちゃうんだな。

割かなくてもいいところに、力を割いちゃう、というか、意識を向けちゃうんだよね。じゃあこうしよう、こうしてやろう、そうしたら相手さんが喜ぶだろうな、という自然の流れがある。

 

「そういうところを、上司の人はあなたに賭けたんだよ、それは間違いじゃなかったんだよ」

 

あー、ちょーうれしいですそれ。デザインほんとに未経験なのに、正社員で雇ってくださるなんて。意味がわからないって感じですもん。先輩みたいな上司もいて、わたしは運がよかった。

 

最後のほうは、会話のしすぎで相手に関西弁が移ってたし、私も、口癖なんかが移ってた。ゔぉん、と可愛いバイクに乗って帰っていった。夜の2時頃。空気が澄んで、ハイの中が洗われる気温。

 

私ももっと、相手についてのことを言えたらよかったな。あなたもきっと、私と似ていて、人のことをたくさん見ていて、褒めて相手を立てていますけれど、本当は誰よりも認められたいと思っていると思うんですよ。同じ匂いがするので、わかります。そうでしょう?大丈夫です。

 

私の話を、私にしてくれる人が会社に存在するなんて、びっくり。サイコーに嬉しい。

わたしも、お役に立てるようになりたいな。一歩ずつ。

広告を非表示にする

残念でしたね。何が?あなたの予想に反して上手くいっているので。

 

あなたは考えすぎる、と言うじゃないですか。

確かに。自分の中で熟成させて発酵して、お腹を壊すこともしばしばある。

だから、どうしたんだって話で。どうしたいんだって話。

 

 

最近の愚痴

守られてしまえば、わたしは大言壮語も吐いてる野郎ですわ。

ちょっと怖いなと思ってる人の人生について思いを馳せて、何ていうか、早く他人事になれと思う。

お腹が最近ずっとシクシクしていて内科にいくか迷っている。

 

いやー、めちゃめちゃ腹が立ったことがあったんですわ。「何でお前にそんなに水をぶっかけられなきゃならんのじゃ、私の何を知っとるんじゃ、あんたはずっと大して役にも立たん自分の話をするんな、私がどれだけ捻り出して質問しとるか分かっとる?私がどれだけいままでの自分のこと話さないようにしとるか知らんやんな?ははっ、おもんな」、といいそうになって、「そうだね、情熱がないと創作しない方が幸せDAYONE、ははっ」、と笑って返事をした。

 

逃げるように創作にのめり込むことをやめた人間として、情熱がない人間は創作をやっちゃだめなんて、のうのうと生活しとるお前に言われる筋合いは、ないわどあほう。日々の生活に磨耗して、必死さに身をうずめて、亡霊のように創作せねばならんかったか、お前は知らへんだろう。創作したくても、出来なかった日々を、それが本当にどれだけ惨めで、どれだけしんどくてやるせなかったかを、お前は知らんだろう。

みたいな話を全然私のことを知らない人に言うほど、しんどい状況じゃなくなった。こんなとこに書いてしもうて、相手に伝わってしまっても、ええかな。ええな。一般人以上にあるゲームにお金を注ぎ込んで「人としてクズやわ」、とか言ってたけど、クズとして言えるほどクズちゃうよ、安心しい。…本当に相手を傷つける言葉を思いついて、直接相手には言わなくなってしまった。いい事なんだろうけれど。

 

わたしは、いつでも横暴なのだ。やっといろんな立場を少しずつ経験して、いろんな人がいろんな気持ちを立場を持っていきているんだなぁ、と本当に少しずつ分かってきた。これに対してそれなりの自負が芽生えてきたのは、他人とちゃんとぶつかってきたからだと思う。(一度、「お前のせいだ」と全部ぶつけた時に、泣きながらも向かいあってくれた人がいたからだわ、その人にはとても感謝している)

 

だから、その時笑ってやり過ごせたのは、私も少し大人になったなよかったな、と思える反面、私の中でまだそんな感情を怒りに変換する位には癒えてないものなんだな道のりは長いな、とも思った。

今、割と冷静にタイピング出来てるけど、昨日の晩メシを食べ終わった後は2時間くらい怒り狂って、テッドのプレゼンで心の傷を癒す方法を見てるくらいには揺さぶられていた。(感情をリフレインさせていまうのは、人がよくやってしまう悪循環なので、2分別のことに意識を向けると、そのループから抜け出せるらしい。)

 

たぶんもう、自分から誘うことはないんだろうな、とリプトンのミルクティーをガブ飲みしながら思った。

私は私でもうお前に創作の話はせんと、勝手にしとるっちゃははーん。

 

恋人もおるしね。明日は服を買いにいこう。カマンベールチーズを食べよう。

はよ年末年始にならんかな。会いたい人に会いたい。

私のことを気にかけてくれる人、ありがとう。

広告を非表示にする

グレープフルーツの半月と今年はじめてのオリオン座

が、見えた。おろしたてのコートが薄くて寒かった。

 

お腹がすぐに痛くなるので、映画館や劇場が好きだけど行くのを躊躇う。

今回も一度、外に出てしまって、隣のおじさんに迷惑をかけてしまった。

体温をあげることが目標だなぁ…。

 

この世界の片隅に」を見てきた。はじめて立川に上陸して、「すっげー都会じゃん!梅田みたい!ルミネも高島屋ブックオフもあるじゃん!人も多いし!すご!!」とテンションが上がっていた。極上の音質?上映だったらしい。結局、どこにいってもおのぼりさんだ。

 

いい映画を見たあとは、ラリってしまう。「マッドマックス怒りのデスロード」を大垣で4Dで見たときも、ラリって、相方にめちゃくちゃ激情して、遠い岐阜の地で泣きながら、まっずい酸辣湯を食べたのも一年前。高校生の時に、全校集会で、貧困について取り組んでいる人の公演を聞いたときに、超感銘を受けて文章を書き付けたのも苦い思い出。

 

薄情なんだよね、わたしは。映画でへらへら笑って、安直に怖くなって泣いて、映画館を出て、なんのためらいもなく「あー、よかったね、SNSで『みんな見たほうがいいよ!』っていうね笑」なんて相方にもらす位には、薄情。

うそ。帰りの電車は、なんにも作品についての言葉が出せなかった。言葉にすると、ぼろぼろ泣いちゃいそうになるから。結局、食べられなかったポップコーンとジンジャエールを、帰りながらつまむ。「あの映画みると、お腹が減るんだよな」と相方がパクパク食べる。

 

家に帰って早速、「この世界の片隅に」の漫画を読む。図書館に置いてある本、という認識だったから、なめててごめんなさい。あるいは、良さがわかるお年頃になったのか?

もちろん、映画の要素や心にくる絵やセリフがたくさんあったけど、一番わたしが救われたのは、あとがきの作者が「のうのうと描けている幸せ」と書いてたことだった。「フィクション」としての扱いで、わたしは若干救われた。右手のさよならも、あの怪物さんも、嘘だけど本当で、それが、よかった。安堵した。作品の内側に、そう思う人の姿が見えて。

 

この行き帰りの電車や、パソコンや、コンビニや、舗装された道や、いつものことが、異世界に塗り替えられて、すぐに、私の存在がぼやけてしまう。Youtubeで軍歌や隣組とかを聞いて、その時の兵隊さんの様子を見つつ、すずさんに想いを馳せる。その時の、女の人や子供は、どういう生活なのか、たしかに手に取れるところには情報はないんだな。短歌を紐解いてもよさそう。

てか、女のドロドロした部分をごっそり作品からのぞいたとかいった奴だれだよ、何見てたんだよっ。

 

ごめん、薄情で。わたしはわたしのことで必死でごめんなさい。

きっと明日になったら忘れてしまうのだろう。眠い目をこじ開けて、仕事場のデスクでまた制作でうんうん悩むんだろう。そして、外に出て寒さに身を縮ませながら、お弁当を食べて、帰って相方の料理を食べて、お風呂に入って、録画したアニメとか見て眠るんだろう。それがまた、繰り返される、繰り返される。

薄情でごめん。大事に出来なくてごめんなさい。

かきつけることで、わたしはわたしの記憶の居場所をみつける。

それくらいしか、できない。