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ゆびさきがつめたい

Thoughts make things, you know?

グレープフルーツの半月と今年はじめてのオリオン座

が、見えた。おろしたてのコートが薄くて寒かった。

 

お腹がすぐに痛くなるので、映画館や劇場が好きだけど行くのを躊躇う。

今回も一度、外に出てしまって、隣のおじさんに迷惑をかけてしまった。

体温をあげることが目標だなぁ…。

 

この世界の片隅に」を見てきた。はじめて立川に上陸して、「すっげー都会じゃん!梅田みたい!ルミネも高島屋ブックオフもあるじゃん!人も多いし!すご!!」とテンションが上がっていた。極上の音質?上映だったらしい。結局、どこにいってもおのぼりさんだ。

 

いい映画を見たあとは、ラリってしまう。「マッドマックス怒りのデスロード」を大垣で4Dで見たときも、ラリって、相方にめちゃくちゃ激情して、遠い岐阜の地で泣きながら、まっずい酸辣湯を食べたのも一年前。高校生の時に、全校集会で、貧困について取り組んでいる人の公演を聞いたときに、超感銘を受けて文章を書き付けたのも苦い思い出。

 

薄情なんだよね、わたしは。映画でへらへら笑って、安直に怖くなって泣いて、映画館を出て、なんのためらいもなく「あー、よかったね、SNSで『みんな見たほうがいいよ!』っていうね笑」なんて相方にもらす位には、薄情。

うそ。帰りの電車は、なんにも作品についての言葉が出せなかった。言葉にすると、ぼろぼろ泣いちゃいそうになるから。結局、食べられなかったポップコーンとジンジャエールを、帰りながらつまむ。「あの映画みると、お腹が減るんだよな」と相方がパクパク食べる。

 

家に帰って早速、「この世界の片隅に」の漫画を読む。図書館に置いてある本、という認識だったから、なめててごめんなさい。あるいは、良さがわかるお年頃になったのか?

もちろん、映画の要素や心にくる絵やセリフがたくさんあったけど、一番わたしが救われたのは、あとがきの作者が「のうのうと描けている幸せ」と書いてたことだった。「フィクション」としての扱いで、わたしは若干救われた。右手のさよならも、あの怪物さんも、嘘だけど本当で、それが、よかった。安堵した。作品の内側に、そう思う人の姿が見えて。

 

この行き帰りの電車や、パソコンや、コンビニや、舗装された道や、いつものことが、異世界に塗り替えられて、すぐに、私の存在がぼやけてしまう。Youtubeで軍歌や隣組とかを聞いて、その時の兵隊さんの様子を見つつ、すずさんに想いを馳せる。その時の、女の人や子供は、どういう生活なのか、たしかに手に取れるところには情報はないんだな。短歌を紐解いてもよさそう。

てか、女のドロドロした部分をごっそり作品からのぞいたとかいった奴だれだよ、何見てたんだよっ。

 

ごめん、薄情で。わたしはわたしのことで必死でごめんなさい。

きっと明日になったら忘れてしまうのだろう。眠い目をこじ開けて、仕事場のデスクでまた制作でうんうん悩むんだろう。そして、外に出て寒さに身を縮ませながら、お弁当を食べて、帰って相方の料理を食べて、お風呂に入って、録画したアニメとか見て眠るんだろう。それがまた、繰り返される、繰り返される。

薄情でごめん。大事に出来なくてごめんなさい。

かきつけることで、わたしはわたしの記憶の居場所をみつける。

それくらいしか、できない。