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ゆびさきがつめたい

Thoughts make things, you know?

ほんとうのことを告げるために、いつでもどうでもいいことを喋らなくてはいけない。

一応、ブログみたいな形式を取って、10ヶ月が経つんだって。意外。

もっと長いもんだと思ってた。

 

こうやって、誰に向けるでもなく、私はキーボードをちゃっちゃか打ってるわけなんだけど、自分が何を言いたいのか、もはやわからないから、ずっと1時間ぐらいかかってブーストをかける。最初に書いた文章とか、めちゃめちゃどうでもよくなってくる。バラエティ番組をひたすら消化していた内容とか、どうでもええ。

 

最近は、あったことがなかったことになってしまうことについて思いを馳せていた。

例えば、テオティワカンとか遺跡とか。自転車で行ける距離にある巨大な鉄塔とか、蔦が覆い茂った廃墟とか、遠い土地の誰も使わなくなった駅とか。

 

もっと卑近な例だと、自分の祖父とか。今祖父は四国で農家をやっているけれど、叔母と二人で住んでいて、彼が死ぬと、畑が荒れて、そこに人も住まなくなって、なかったことになるんだと思うと、夜中の3時位に涙が出てきてしまった。

はたして、守っていく必要があるのか、というのは次元がまた別で、なくなっていくことが、普通に、なんていうか寂しいよりももう少し深い、悲しみの青に水浸し。細胞に浸透される悲しさがあって、感傷的すぎる。

 

わたしのもっている秘密も、うっちゃってしまえば、なかったことのように「今までごめんね、やり直そうね」に出来るんだろうけれど、違う。

江國香織の「元に戻すのではなく新しく会いたい」なんだ。

 

言葉を話せなくなっている。仕事をすることにより、自分が何者であるかを考えることを放棄して過ごせるようになっている。それはそれで生きていくすべなんだけど、それもまた、寂しい。

 

さみしくなって、昔いた劇団のアカウントとか見に行って余計にさみしくなってしまった。知人はきちんとした会社に入ってボーナスを貰って海外旅行に行ったり、デキ婚でママになりますなんて報告をしたり、今も変わらず京都で劇団に入って細々と舞台に立っていたり。

 

春はずっと、さみしいな、とか思っているんだな。新しくなることは、いままであったことと決別して、なかったことにしてしまうような気になってしまって、それはそれでいいんだけど。

 

違う。いつでも私は寂しいと思ってしまうクセがある。

そこに、私は介入できない。その寂しさが付き纏う。

 

永遠は関係を更新していくこと、自分のブログを読み返して、膝を打った。

更新し続けられるのだろうか。何者にもなれないことしか更新し続けていない。

 

春だからな。体調を崩すみたいに、心も乱れちゃうよな。